葉隠の庭:経方医学研究所 ― 2017年12月01日
例えば春、無農薬でキャベツを植えっぱなしにすると、多くは食欲旺盛な虫たちにボロボロにされる。
それでもキャベツは枯れず、無残な姿のまま最後は新芽を伸ばし、花を咲かせ、種を結ぶ。
それは、キャベツがついには毒を持ち、虫から新芽を守ったからです。無農薬だけど毒キャベツに変身。
植物には強い意志があり、私たちはまだその多くを知らない。
.............................................................
半年遅れで受け取った早すぎる訃報に、そんなことをぼんやり考えていた。
庭は15年前に作った。
荒れた林道でジムニーごと谷に転げてしまった彼が、助けを求めてきたりした頃。
鉄骨で鹿と雪避けの囲いをして作ったわさび畑。もうわさびはなかった。代わりに、お好きだった九輪草がいくつか植えられていた。
山に滲み出る水をその地層から直接、地中タンクに集めて、沈殿させた上水をお茶用に配管した。
水量は減っていたが、まだ機能していた。
水場を左に過ぎて、この奥が経方医学研究所。
わさび畑を夏の直射日光から守るために土を盛り植栽した。
降り積もった落ち葉以外、何ひとつ変わっていない研究所。使っていた軽トラも、道具や合羽も、ポンとそこに置かれたまま。
いちばん奥の煙突小屋はレール式の本格ガス窯。作陶はプロだった。釉の研究もよくし、京の料理屋の器まで頼まれて作った。
スピーカーのエンクロ―ジャーも陶器で試作し、聴かせてくれた。吸音材も工夫しFostexのかわいいフルレンジスピーカーが、つやがあって柔らかい、気持ちのいい音を奏でていた。
訪ねると、珈琲を立てたり、育てた野菜やスペアリブを御馳走してくれたり。
いろんな話をしてくれた。特に油脂や野菜、コメなどの食べ物の話は目からウロコで、私の食生活も大きく変わった。
部屋ではフルートも聞かせてくれた。ご近所のツトムヤマシタ氏とセッションしたらしい。とても楽しそうに吹いていた。
暖かい春の休日に訪ねた時、若く美しい奥様や、まだ独身だった息子さんらがいらしていた。奥様がいい笑顔で、遠慮なくお話してくださったのが嬉しかった。
苦労して植えた大きな山桜は、すっかり大木になった。
苗から育て上げた奥の朴の木とともに、シンボルへと成長した。
マンサクや山法師、藪椿に夏椿、馬酔木にシャクナゲ、ミツバツツジ。鳥兜などの山野草の脇には、遊びに来るタヌキの為に食事も用意されていた。京都の山の自然をよく知る、彼らしい植栽の選択に感心しつつ植えた。
軒も深く、ろくろのある立派な作業小屋は、彼をよく知る大工の金田さんが心意気で建ててくれた。広い和室もあって、そこで文字どおりの『格闘』ごっこをして遊んだ。「思い切り向かって来い」と言われて、何度挑んでも鋭い動きと集中力でコテンパンにやられた。トレーニングも欠かさない、京大闘争以来の格闘家?でもあった。
植栽樹木が細菌性斑点病にかかった時、殺菌剤の長期定期散布などの一般的対応策を説明をすると、彼は20種類の漢方を調合して煎じ、月1回の薄めた灌水だけで見事に克服させた。
少し頒けてもらい、農薬では克服が難しいバラの黒点病に使ったら、はっきりと効果をあげて驚いた。
『漢方は、植物のためにある植物の力を、人間が勝手に利用しているだけ。爪の中の水虫に、爪の上から殺菌剤をかけても無駄でしょ。』
少しの時間を見つけては、高雄からクルマを飛ばして通い、この広い畑で個性的な野菜を作っていた。荷物も運ぶためGTRはレガシーに、ボコボコのジムニーは新車のチューンド ジムニーに変わった。
研究所は中央の杉木立の中にある。敢えて、どこからも見えない場所に建てた。
向上心を燃やし続け、いつも真剣に生きていた素敵な男は、武士というより、ハガネのしなやかさを持つダンサーのような印象を残して行ってしまった。
不器用でぼんくらな私には、テキパキと律して切り替える彼の生活が、時に、生き急いでいるようにも見えた。なのに、いつも楽しそうだった。
......................................................
江部洋一郎先生。元高雄病院院長。漢方を志す者はもちろん、老若男女に慕われていました。
一連のライフワーク的著書『経方医学』は大きな灯台となり、中国でも出版され、現場や研究者達の高い評価を得ているそうです。
院長を退かれた頃は、全国各地の講演依頼にも元気に応えておられました。帰ってくると、講演料が入ったからと連絡を受け、道や庭の補修に伺ったりしたこともありました。お仕事以外のみやげ話付きで。
5月16日、突然のご逝去だったそうですが、ご家族で静かに送られたと、京大医学部の同窓で先生と親しかった得意先を通じて聞かされたのはつい先日のことでした。1948年広島生まれ、被爆二世とお聞きしております。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
いのちの星:伏見稲荷本宮祭Ⅲ ― 2017年07月24日
人間も地球を構成するいきものの一種だったはずでしたが、長い地球の歴史にしてみれば、まばたきする間もないほどの、たったここ数十年で、明らかに地球の変質を急加速させてしまいました。
さて今年も本宮祭に行ってきました。薄い和紙に見事に描かれた美しい行燈画を見て、少しでも亜熱帯モンスーン気候を生き抜く糧といたしましょう。
数百の奉納画から、勝手に選んで紹介します。たいへん有名な方ばかりですが、あえて、作家名やコメントなしでいきます。
今年は一段と猛暑厳しく、そのためかモチーフにも南国出身の木の実が豊作でした。
奉納する作家さんも、増えたようです。
なお、作品の昼夜の表情を見比べるために、同じ絵を一部続けて羅列しています。行燈に火が入ると、作品にぐっと奥行が出るのがわかリます。
(昼)
(夜)
(昼)
(夜)
(昼)
(夜)
(昼。提灯の写り込みあり)
(夜)
(昼)
(夜)
(昼)
(夜)
(昼)
(夜)
薔薇のプライド : 伏見 ― 2017年05月26日
楡の木蔭にて:茨木市 水尾保育園 ― 2017年05月10日
芝生
そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生に上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
(谷川俊太郎 )
大阪府茨木市の現場まで、京都の山奥から片道2時間。
とりあえずガンバって行ってみたら、たくさんの素晴らしい出会いが待っていました。
大きな楡(ニレ)の木。寝ころびたくなる広々とした木陰。遠くに大きなハッサクと枝を低く広げた筆柿。
ふんだんに完熟堆肥を鋤き込んだ畑の脇には、渋い石の水鉢。
通りかかったオッサンふたり、「なんやここは?」「幼稚園ちゃうかー」「幼稚園やないやろ、こんなん…」
特注の太い栗材を使って砂場を制作中。排水完備。美しい栗の木肌がなんとも気持ちいい。
南側にある0~1歳児の庭。
保育室前の広いテラスから庭は、段差なく全部地続きにしました。
市街地ですがフェンスの向こうには田んぼが広がっています。
細目の砂を使った柔らかい砂場の下は暗渠排水。
あっという間に砂を広範囲にばら撒いてしまう子ども達の遊び方を見て、当初のいわゆるバンカーから形状と位置を変更し、名栗(なぐり)丸太の古材を加工して囲いました。
みかんやイチジクが実り、芭蕉が茂り、屋久島カンナが咲き、フェンスにはノウゼンカズラやムベ、特注の名栗と檜で組み上げた棚はブドウ(ナイアガラ、ベリーA)に覆われていきます。
そうなるともう、ここは「園庭ではなくて天井のない保育室」(松方園長)
大運動会を想定し広く取ったグラウンド、その手前に許された、小さな植込みの山。
小さくてもここには、四季の変化に富んだ花木や山野草が30種類以上、約200株あります。
発見の喜びとともに、この中にしゃがみこむ、ひとりひとりの気持ちをそっと受け止められるような場所になって行ければと願いを込めて。
役物タイルで丁寧に面取され、すっきりとして使いやすい洗い場です。過去にはカタログを頼りに派手な造形に走り、子どもたちにとって非常に使いづらいモノを造らせた設計士もいました。数年後 園により解体されましたが、プロなら面倒でも子どもの動きを観察して意匠は自分で考えましょう。
広いグラウンドは、現場で提案した工法も採用していただき、全面的に暗渠排水工事が行われました。
開園してからでは困難な工事です。最初にステージを使いやすく、そのベースを見えない所までしっかりと作ることで、年々変化していく保育の状況に合わせて、スムーズに対応できます。
↓ 3ヶ月後
「フェンス緑化」
植えたツル植物は、マタタビ、サルナシ、原種テッセン、トケイソウ、アケビ、ムベ、ツルアジサイ、スイカズラ、ハニーサックルetc・・・ 一律に1mにつき5株をという役場の超密植基準はありえない。1m1株にしましたがまだ多すぎ。グランドカバーにはシロツメグサを蒔きました。
そして果樹の成木を植栽。たくさんの実をつけ始めた3mの暖地サクランボやスモモ(太陽)、びっくりグミ、ヤマモモ(森口)、大実ザクロ、12本の大きなブルーベリー。リクエストのフェイジョアと広島の被爆アオギリの子孫も。
日当たりもいいし、土もいい。さてこれからどうなるかな、私もわくわくしています。
⚪︎ ⚪︎
保育園は園庭の予算が組めないことが多い中
子どもたちのためにいい仕事がしたいという、京都の(有)地域にねざす設計舎 TAPROOT や、藤木工務店京都支店の、子育て中の若い担当者達の意欲的な努力がなければ実現できませんでした。
特に、現場に学ぼうとするTAPROOT 岡村氏の向上心と行動力は、これまで出会った設計士のイメージをずいぶん良い方に変えてくれました。
さらに、ややこしい材料を準備し、遠くまで応援に来て下さった京都木村農園、
貴重な栗材は原田銘木と伝統工芸士おさむ工房、
そして頼りになる判断力と機動力を持った仲西造園に助けられて、非常に短い工期のハードスケジュールでしたが、なんとかたどり着きました。
支援してくださった皆様、協力してくれた職員や理事の皆さんに心から感謝したいと思います。ありがとうございました。
以上とりあえず、ご報告まで。
子どもと植栽 : こころってなぁに ― 2016年09月25日

あなたには、愛する木がありますか?
木はほかの生きものたちの思いを、そこから動くことなくじっと受け止め
決して、ほかと比べたり、競争させたり、教育したり、責めたりしません。
大ぜいの雑音から、ひとり隠れる場所もそっと提供したりして
木には、地球上の自然の一部である人間の、「こころ」を育てるという大切な役割もあります。(※注)
都会ではこのところの保育園開設ラッシュ?で
お役所も設計者もゼネコンも忙しそうですが、植栽等の外構については、建物のオマケ程度にあしらわれているのが現状です。庭なのにまるで路側帯の緑化状態。よくても住宅展示場の植栽以下。
こんなふうに恒常的に園外に出てゆける環境にいる年長組はまだしも
0歳からの年少組は当然、園内で生活のほとんどをすごします。
「三つ子のたましい百まで」という、たいせつな時期を。
一方、誰かさんのお陰もあってこの国では、弱者切り捨て、経済効率(お金)最優先がまるで暗黙の了解のようになってきました。幸せとは何かと考えず、損得や目先の利害に敏感に振り回される風潮。
相模原事件の衝撃は、そんな経済至上のしくみの中で、「こころ」を欠落させたような不自然な人間たちの社会がどういう帰結を迎えるか、というところまで想像させるに十分でした。
「何してんの?」
「木を植えてるの」
「なんで〜?」
ここでは特に、子どもたちの育ちと庭(や自然)との関係についてもう少し具体的に考えてみようという保育士や保護者、そして建築士や造園業者のご参考に、自分がかかわってきた中から、8件の植栽や作庭に絞って(不十分は覚悟の上ですが)紹介しておきたいと思います。豪華な遊具や凝った造園などはひとつもありませんし、保育の方法や内実、地域性にも大きく関連することとは思いますが、どれかひとつでもヒントになれば幸いです。
なぜ植えるのか? どう植えるのか?
なお写真の多くは、みつばち保育園(京都市西京区)丸国朋子園長のご協力をいただきました。
みつばち保育園をつくる会の園長ブログも、是非ご覧になってください。大人も含めて、人(の心)を自然に育てるために、保育園はここまでできるんだという地道で貴重な記録があります。
* * *
(※注)
脳内に「こころ」は存在しない
脳内に「こころ」は存在しない
受精から乳幼児期までの「こころ」の形成のメカニズムについては、近年各国でさまざまな分野に於いて、少しずつ研究がなされてきています。
医学的、解剖学的にも脳にはないとされる「こころ」の在処(ありか)やその形成が、世界的に注目されるようになった大きなきっかけは、故三木成夫氏(みきしげお 解剖学者、東京藝大教授、1987年61歳で逝去)の研究だと云われています。埼玉県さくらさくらんぼ保育園での講演『内臓のはたらきと子どものこころ』(1982年築地書館) (現在は、河出文庫『内臓とこころ』としても出版されております) は、聴衆の大きな感動を呼び、現在未来に向かって、社会的にも重要な問題提起でした。夭逝(ようせい)が惜しまれます。
地球と同じく、奇跡のようなヒトの体の不思議さとともに、暑い、寒いといった四季や、土や水、草木など自然(=宇宙)の感触から隔離された便利快適な箱の暮らしや、「脳の発達」のみを偏重し、目的化したような保育が、乳幼児期の「こころ」の形成(あるいは共生というDNAの意思)を阻害していることにも気付かされました。
.........................................................................
1. 銀杏(イチョウ) みつばち保育園・本園の主木
ギンナンとり
比較的踏圧にも強い、大実銀杏の雌株成木を植栽。珍しい開張型の樹形で登りやすい。
銀杏は御堂筋ではおなじみですが、98年に絶滅危惧種に指定されています。針葉樹に近く、恐竜の時代や氷河期を生き延びてきた、生きている化石ともいわれています。

今夏の酷暑で弱ってきた銀杏に、水を運ぶ1歳児たち。

みんなと離れてひとりで集中したい時も、銀杏の影に。
園長によると、この幹に抱きついて、ひとりじっとしている子どももいるそうだ。
(レイアウトについて)
0歳児室側から見ると、手前に専用の極細粒砂を入れた3m四方の砂場(園庭レベルで枕木埋め込みのため、大地に柔らかく同化し、公園のコンクリート砂場のような違和感はありません)、
その向こうに土の山、さらにその向こうに銀杏等の植栽群のある山、という配置。
狭い園庭ならではの思い切った工夫だが、0-1歳にとってはちょうどいい広さと眺め。
右側が0歳児室。専用の砂場は園庭に溶け込んでいます。園庭にいるのは1歳児。
0歳児の砂場からは手前に土の山、その向こうに木の山と、いつも順番に大きい子どもたちの遊びが見えます。0歳児の意欲も違ってくるかも。
........................................................
2. 桑の木 (みつばち保育園・西山園舎の主木)
おいしい桑の実(ドドメ、マルベリー)。桑の葉は養蚕で知られていますが、立派な果樹。古来、桑の木には霊力があるといわれており、世界中に逸話が残されています。中国では聖なる木とされています。
子どもたちはとても慎重に手足の場所とバランスを考えながら登っています。降りるときはさらに慎重になります。
自分がどこらあたりまで安全に登り、且つ降りてこれるかは、本人がいちばん分かっていますが、保育士はそれぞれの子の力やその日の状態を把握した上で信用して見守っています。
私も実際に登りながら、子どもたちが登りやすく、また、保育士たちがその様子を把握できるように、という手入れを毎年繰り返しています。

幹に抱きつくカイカンは、地球に抱かれる安心感。
ところが、この年
台風18号の直撃で二股の根もとから裂けて倒れてしまいました。保育園の理事長からは、すみやかに撤去するよう依頼されましたが、一晩考えて、傾いた方は起こし、芝生山の上に完全に倒れてしまった半分は、そのままの状態で養生して子どもたちと共に生きていくことにしました。
伐られるのではと心配そうに見ていた子どもたち。『もう大丈夫、登ってもいいよ』と告げると一斉に登ったり幹にさわったり。

2歳児。年長の木登りにあこがれていた年少たちも、これなら遊べます。
木に付いた虫みたい?
起こした方は、根を養生し、6m長 3本の桧支柱をした上で登ってみましたが、以前よりも数段むつかしくなりました。工事中もそばを離れず、何度も『切らんといて』と懇願していた彼は、許可を得るとうれしそうに真っ先に登っていきました。
.......................................................................
3. 藤棚とキウイ棚 (みつばち保育園・西山園舎)

藤の花が笛になることを発見。
藤の美しさと香りは、また格別。白と紫と赤紫の3色を混ぜました。
季節感には、自然の美しい色彩や触感、造形と共に、エグい、渋い、くさい、酸っぱい、辛い、甘いといった豊富な味覚や匂いも重要な要素です。虫や動物たちはよく知っていますが。
登れるキウイ棚


棚は遊具としても活用されます。西山園舎には3箇所あります。
年輪がとても細かく重たい右京区京北 黒田地区産の芯持ちヒノキのみで組みました。ドイツ・オスモカラーウッドステインプロテクター使用。10年経ちました。再塗装1回、イタミやささくれは全くありません。
.................................................................
4. グミの木と柿 (みつばち保育園・西山園舎)

かわいいコントラスト。グミの色はなぜだかうれしくなります。

グミ採りは初夏。


虫だってグミを放さない

秋は柿

柿はたいへん折れやすい。彼は隣の頑丈なグミの木に登り、柿の枝を引き寄せて採った。

.............................................................
5. 芝生の山 (0歳児専用)
大地の起伏は大切ですが、広すぎると不安になります。植栽などで安心感のある地形や配置を。後ろの大木は大実ザクロ。(みつばち保育園)
0歳児室から直接ハイハイで出れる芝生山。年長児は入りたいけど入らない。イチジクやバショウ、クヌギやマンサクの他、保育室の西日よけを兼ねて高木も植栽。コブシとホオノキ。
ホオの葉は大きくて殺菌力もあり、万葉の時代から食べ物の包装などに使われてきました。給食室でも活用できます。花は大きく蓮に似ています。樹皮は生薬コウボク。
コブシの花は春の農作業の指標とされてきました。花蕾は生薬辛夷(シンイ)。鼻詰まりの薬。
(みつばち菜の花保育園)
................................................................
6. ノウゼンカズラのアーチ2種
北園舎(西洋種)
みつばち北園舎と呼ぶ別邸入口。幹線道路とバス停に面していてガサツな環境のため、あえて異界への入口風に。西洋種ならではの旺盛な「こんもり」感を利用しました。成長は予想よりかなり激しいですが。
建物まで続く石畳の奥にはナツメ、ヤマモモ、サクランボ、ヒメリンゴ、イチゴの木、ユスラウメ、夏ミカン、百目渋柿など、実のなる成木がいっぱい。バスを待ちながらブルーベリーを覗き込む御婦人。
みつばち菜の花保育園(日本種)
こちらのアーチは、ブルーベリーやキンカンが並ぶ長い園路のアクセント。松の流木に絡む日本種のあっさりとした樹形と大きくてエキゾチックな花。花期も長く、今年は9月の今でもまだ咲き続けています。
........................................................
7. ただの山 (西山園舎)
園庭のど真ん中に、10t車10台で作った、ただの土の山。 子どもたちの創意工夫で常に変貌します。
2歳児の大胆な発明、「アカハラすべりー」というらしい超高速自腹式スライダー。園外では決してできない遊びです。

雪が積もれば、これが自然。

1歳児もガンガン登ります。このデコボコがまたおもしろいのです。

かまど。

・・・・・・
ほんと好きやねー
年長は山頂を掘って

露天風呂を作ってしまいました。
山の整備を手伝う4歳児。
2歳児の自発的な運動会の練習。ラグビー部ではありません。
西山園舎での今年の運動会(2016/09/25)。クワの木より右奥、藤棚下から園舎内までL字型に広く観客席を取り、土の山とグランドが子どもたちの舞台。
カメラはプロに任せて(それがルール)、素直にじっくり子や孫たちを観ていただき、「到達度」ではなく、自発的な助け合いや強い仲間意識に支えられた努力や集中力が、ひとりひとりの生きる自信となってゆく様子に、親たちも気付くことが多いはず。一見の価値あり。
畑は左の山のさらに向こう側にあります。
.......................................................
8. 畑 (西山園舎)

腰の入った道具の使い方と、安全な間隔もいい感じ。
この西山園舎の畑の土は、真砂土にJA京都中央製の堆肥(京の植木屋が剪定した枝葉とサントリーのビール残渣が原料)を3トンと諏訪の黒曜石パーライト等を大量に混ぜ込んで作りました。土にもいのち、原料や熟成度の不明確な格安「バーク堆肥」などは使えません。
力の入れ方と3人のバランスがすばらしい。まったくいい仕事をします。

しかし、沓掛から南へ西山を縦断する京都縦貫道の延伸工事後、鹿やイノシシに加えて、昼間でも毎日のようにサルの群れがやって来て、子どもたちの畑やサクランボやスモモといった果樹を食べ尽くすようになりました。
人間の「経済活動」によってテリトリーを分断されたり、棲みかを追われた子連れサルたちの必死の行動には、もう畑を守るすべを知りません。

できればそういった心配のない都会地での畑を確保したい。こんな具合に(2歳児)。
..................................................................
≪附記≫
植栽樹木の準備について
一般的に建築設計者は、植栽については依頼者の希望を聞きながら参考書を片手に樹種や大きさを数字で決定します。公共事業等のいわゆる規格物や苗木なら生産量も多く、ほとんど入手できますが、現場が要求する特殊性によっては、樹種とサイズを注文すれば入荷できるとは限りません。
保育園の場合、重要なのは、その現場(特殊性と目的)に見合った樹種の選定とその個々の樹形、そして芝生山や棚などの大地の、使えるレイアウトと配置です。つまり、そこでどういう保育をしたいのかということに尽きます。保育士たちや保護者のわくわくするような思いを形にしていくのです。
たとえば、みつばち本園の主木「1.銀杏」は、子どもたちが登れること、葉張りが6m以上で樹形や木陰がやさしいこと、季節感に富み、実が食用にできること、虫がつきにくいこと、踏圧に強いこと、高額でないこと等が条件でしたが、探し回って、出会いの木を特定してからも1年以上の準備が必要でした。
いわゆる「根回し」という作業です(伸び放題の根を一旦切り詰めて新根を出させ、移植が可能なコンパクトな根をつくること)。根だけでなく葉張りなども、なんとか運搬可能な状態に持ってゆく必要があります。さらに、樹種によって安全な移植適期があります。
しかし多くの場合、新設の植栽は人間(経済)の都合で厳密に限られた工期にあわせて、このナイーブな生きものを無理から移す作業です。
大切な出会いの木を枯らしてしまったら、もう代わりはありません。充分な配慮が必要です。
建物の竣工はそれで完成=工事終わりですが、生きものである庭にとってそれは、人間と共に成長し変わってゆく長い付き合いの始まりにすぎません。生きものならば年々良くなってゆくのが自然の理、そのための維持管理方法や園内の体制(ふだんの水やりや芝刈は誰がするのか等)についても、ひととおり考えておく必要があります。もちろん、お膳立てするのではなく生活の一場面として、子どもたちと共にできることも多いはず、保育士だけで無理して維持しようとせず、自然やほかの生きものから一緒に学んでゆくつもりで、考えていきましょう。
今春、園舎を建て替え中の保育園から打診があった時点ですぐに、高さ、葉張り3.5m以上のハッサクを特定しました。ハッサクにとっては移植困難期である1月の植栽が想定されるため即、根回し、高さ2mにまで強剪定し、特大の鉢上げをしていただきました。(↓鉢上げ後)
希少な木の場合、話がまとまるまで待っていたら、根回し後の新根の成長が間に合わないので、リスクがあってもこういう対応をします。
京都木村農園や仲西造園の丁寧な仕事と管理で、鉢上げ後も元気でいてくれています。手前のポットはブルーベリー1m。
自然と不自然 : 黒兎の独白 ― 2016年04月03日
黒うさぎぺっぺの とりとめのないモノローグです。
(伏見稲荷へ奉納された行燈画より)
私も生きるために細々と職人を続けているわけですが
(職人を続けるために生きているように見えたりもしますが)
この仕事そのものにストレスを感じたことはありません。貧乏 (正確には人間が生み出した『お金』の存在そのもの)を除いては。
ただ、ときには無理解な事態、不自然な対応に直面して、非常にがっかりすることはあります。
不自然さのストレス。
それが私たち人間に与えるダメージに、少しでも抗したい
より自由で自然な心を取り戻したい、という渇望みたいなものが
この仕事を続けるほんとうの動機なのかもしれません。
植物には、ふつう根っこがあります。
根っこが踏みつけられて土が固く締まり、息ができなくなれば、死んでしまいます。
こう言うと幼児は必ず『なんでー?』と聞きますね。
この頃は、いい大人でも『なんで?』と言う人がいたりしますが、なんで?
酸素を運ぶ植物の根系図とヒトの血管図は、よく似ています。
元をたどれば、同じ海から生まれたRNAだったりDNAなわけで
人間の根っこは、運動神経系を統括する部品の脳ではなくて、
赤い血の流れるこころ、にあると思います。
それは自然な環境での共生を刻み込んだ、あらゆる生物のDNAの意思でもあるはず。
トランプさんの言う「環境よりも経済」を平たく言うと
ひとの命より自分のお金、ということになりますが
それはまるで、種の絶滅へといざなう、ハーメルンの笛のように感じます。
…………………
【何のシンボル?】
自然の素材で作りこんでも、素直な愛を感じない不自然な景色になることもある。職員達と練り上げた園庭に、園長兼理事長の独断で突如出現した140万円也!の巨大で異様な『ポスト』。
外構は人格を反映する。
この現場では、活発だった職員たちの助け合う雰囲気とは異質の、内実の妙な変化を感じる。開園時より、職員や子どもたちの生き生きとした日常を、食の側から活写して評判だったブログ日々菜々も凍りついたまま。
違和感の正体は、権威やカリスマ化への欲かそれとも老いによるものか… いずれにしても硬直した組織でヒトは育たない。指導者や『正統な後継者』としての自信や思いがあるのかも知れないが、ずっと正しい歴史を歩んで来た人などいない。ここまでやって来れたのは、色んな人達の善意や試行錯誤、陰日向の協力があったから。正義は誰にでもあり、正解は一つではない。
謙虚さを忘れた独断の焦りが、素直に心情を吐露してしまったような、このアンバランスな造景は、まるで胸像の様に映り、後に続く者たちの心に響かないばかりか、暴力的にすら感じてしまう。
このままでは、あなたの積まれて来た徳と、大きな可能性を持つ若い現場が、あまりにもったいない。
…………閑話休題…………
最近、環境エンリッチメントとかいう言葉を耳にしました。おもに動物園で使われています。
動物は自然の環境にいないと、本来の正常な行動ができなくなります。
魚やカエルもそうですが、とりわけ、知性が高い霊長類や象などにとっては死活問題となります。
もちろん人間もです。
たとえば、繁殖にも実績をあげている北海道の旭山動物園。
小菅名誉園長の報告(→Link)に「環境エンリッチメントと繁殖行動の発現」と題したレポートがあります。
―――繁殖行動はこころの問題という部分を少し引用しますと―――
動物に十分な広さの施設を用意し、生息地の環境をそのまま切り取ってきたかのような飼育環境を作り出し、さらに食べ物も現地のものを用意したとしても、繁殖行動を起こさない動物がいることも事実なのです。
では、何が不足なのでしょうか。それは心の問題なのだと思います。これまで我々は
「動物は健康であれば繁殖するはずだ。だから繁殖しないのはどこか体の具合が悪いのではないか」
と考え、健康診断を繰り返す傾向にありました。
考えてみれば、同じ方法で飼育していても、繁殖する個体と、繁殖しない個体がいるということは、やはり繁殖行動には、精神的な要素が大きく関わっているということだと思います。
旭山動物園では、動物たちに“しあわせ”を感じて生活して貰おうとさまざまな環境エンリッチメントを実施してきています。例えば、サイやゾウには泥浴び場と体をこすりつける太い木を用意し、キリンには高いところに餌を釣ってあります。水鳥には、3000㎡の広さに高さ14mのネットを張り、自由に飛べるようにしました。さる山のニホンザルは、草を指で摘んで食べ、チップの中のピーナッツを探して時を忘れ、オランウータンは、高さ17mの空中散歩を楽しんでいます。 多くの来園者が「動物たちが楽しそう」と感想を述べています。私も同感です。 (以下略)
長くなりました。要するに動物たちは
餌を探してとるという苦労がなくなると食欲もなくなる、
群れの社会で生きるものたちは、群れでなくなると、まともな出産や育児ができない、
ライバルがいないと発情しない、といったことから
そのおかれた環境が不自然だと、
つまり、「生きているしあわせ」を感じないと、異常な行動をするということです。
ヒトも群れで生きる、自然界ではひ弱な生物。
「生きているしあわせ」に、ほんとうに必要なものとは何でしょう。
お金?能力?学歴?教育?道徳?権力?
どれも他者を差別化し利用する為に、大きな脳で編み出して来た、不自然な道具や価値観に思えてきます。
報道は日々、理解しにくい犯罪やアメリカを中心とするテロの応酬、政治家のおごりや広がる貧困を伝えています。
その犠牲者には必ず子どもたちがいます。
そして私たちには、こころの病みもじわじわと広がっています…
残り時間も少なくなってきましたので、次の世代に思いをめぐらせながら、取りあえず仕事に戻るとしましょう。
にんげんエンリッチメント。
なにしろ宇宙から見るこの小さな美しい星はひとつで、どこにも国境なんて引かれてないそうですから。
★ N E W S ★
『私は日本人に問いたい。日本国民はしあわせなのか?』とのメッセージを持って
ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領がはじめて来日しています。
『私たちは、発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。』
フジテレビが緊急特番を組むようですので、注目しています。
≪緊急特番:フジテレビ系4月8日(金)午後7時~午後8時54分 池上彰氏と対談≫
≪関西テレビは4月9日(土)午後3時30分~午後5時30分≫
最近のコメント