海の鐘:不知火海2023年01月17日




美しい水俣湾



高校の同級生仲間だった友人の
働く現場を見ておこうと思い立ち 
早くに彼が根を下ろした
熊本県水俣市をはじめて訪ねました

不知火海 向こうは天草 左は鹿児島県出水市 
季節には大きなナベヅルたちが
頭の上を渡っていくそうです







水俣湾



穏やかな水俣湾に浮かぶひょうたん島のような恋路島
この広大な公園の足元には
湾内に最大4m堆積した有機水銀入りのヘドロと
ドラム缶に詰め込まれた不知火海の魚たちが
無数に埋まっています

 




封じ込められた魚たち








死の海の上に供えられた手彫りの野仏や
祈りの墓標たち 「魂石 」



埋立地の魂石










石牟礼道子さんの句


 さくらさくらわが不知火はひかり凪  (なぎ)
 祈るべき天とおもえど天の病む       
     
      石牟礼道子さんの句です







埋立地の魂石










埋立地の魂石










埋立地の魂石










埋立地の魂石


  







水俣湾埋立地の説明











チッソ水俣工場


水俣駅の正面に構える 広大なチッソの工場
入口にはガードマンが立っていて 
じっとこちらを見ていました




 




封じ込められた魚たち


36年間も有機水銀を流し続けた
百間(ひゃっけん)排水口


奇跡の星に誕生したすべてのいのちは 
皆つながり助け合って生きています
新参の人類の思い上がりがひき起こす
傲慢な破壊行為


「水俣病」はここから始まりました
患者さんたちは奇病と差別され 
水俣病は何度もフタをされていきます
誰に? なぜ?




チッソの百間排水口


現在の百間排水口と




「百間排水口」一番札所


その正面にある 新潟阿賀野川の石に彫られた地蔵
水俣病巡礼八十八ヶ所 一番札所 とあります
故 川本輝夫さん(水俣病患者連盟委員長)が建立しました
刻まれた文字の墨が薄くなっています





6/18 撮影永野
                  (撮影永野)

百間排水口を背に 地蔵にお経を唱える僧侶












水俣病慰霊の碑


埋立地に立つ水俣病慰霊の碑と二つの鐘



平成25年10月27日 明仁天皇と美智子皇后が水俣を訪れます
両陛下の強い希望で 胎児性水俣病の患者さんらとも会い
長時間 丁寧に言葉を確認しながら熱心な対話をされました
水俣病公式確認後も12年間 国も県も排水を止めなかった事に


   患ひの元知れずして病みをりし
      人らの苦しみいかばかりなりし   天皇










水俣病慰霊の鐘

   
    山の鐘







慰霊碑の鐘


     海の鐘






邪魔はしないからと
友人の現場を覗きに来たのですが
彼は この田舎職人に貴重な時間をさいて
精力的に水俣を案内してくれました


綺麗に整えられた鎮魂の景色からは 
患者さんたちの苦しみや命がけの訴えも
激しい差別に癒えることのない傷も
支援者たちの何十年にもわたる格闘も
想像するのは難しいけれど 
水俣病歴史考証館のリアルな展示物が
その厳しさを伝えていました
ここに最近 丸木位里さん丸木俊さんの「水俣の図」も
新たに加わったようです


この場所で素敵な人と出会いました
その人が初めて書いた 素晴らしい本です





みなやっとの思いで坂を登る 永野三智





決してむつかしい本ではありません
水俣病患者相談の日々が素直に綴られています
ぐいぐいと引かれるように読み進むうちに
潜在患者含め20万人にも広がる水俣病の実態や
胸につかえたまま語られなかった真実 そして
まだ何も終わっていない現実が伝わってきます


思い切って相談に来た患者さんたちだけでなく
長くよそ者として生きて来た私の旅にとっても
水俣の地で生まれ育った彼女の姿勢や生きざまが
ある種の安心とあらたな希望を与えてくれました


彼女には初めてお会いしましたが 
友人の娘さんだったのは驚きでした
文中何度か登場する父親に 
子育てや 父子の葛藤 奮闘を想像しつつ
彼女の半生の記としても 
体温を感じるその文章とともに
感慨深く読ませていただきました



   永野三智 (水俣病患者センター相思社)

      発行:ころから 1800円+税




本書中 原田正純医師 (胎児性水俣病を発見) の言葉より

「環境汚染によって食物連鎖を通して起こった中毒なんて
いうのは人類史上初めてです」 
「現在世界中で微量長期汚染の胎児に及ぼす影響を議論し
ています 日本で調べれば一番ちゃんと分かったわけでしょ
だけど今となってはもうわからない」



     *     *



  微量長期汚染  食物連鎖… 
    エスカレートする酷暑極寒豪雨 そして核
  自然のルールを破り 命よりお金をモノサシにして
  共に生きる力を退化させたこの文明が滅ぶ時
  これまでの歴史と決定的に異なるのは
    地球の生態系を根こそぎ巻添えにしてしまうこと


  あの安倍さんでも躊躇した岸田政権の超軍拡や原発回帰
  かくして廃炉不可能のまま福島も見捨てられるのか
   


    京都では地下水脈無視の北陸新幹線延伸にも呆れますが 
     《 リンク先はグリホサート(ラウンドアップ・ネコソギ・
  サンフーロンほか)に関する貴重な記事です 》







  ....................................................................








 〈 追記 〉  2023・7・1


  水俣病は過去ではなく現在進行形





熊本日日新聞より

     百閒排水口で 市の説明なき解体に抗議し
     座りこみ読経する僧侶 
              (熊日新聞7/1より)







初めて訪れた水俣の町
穏やかで美しい水俣湾をのぞむ集落は かつての温かい
営みを想像できる懐かしいたたずまいを一部残しており
水上勉の小説の情景を思い出す(不知火海沿岸・海の牙)


一方で 今も駅正面を占有するチッソの威容
町の妙に静かな風景に 何か意思を感じる緊張も匂い
怖いような不思議な気持ちでした


埋立地の公園の中に限って 歴史を伝えてはいます 
故 川本輝夫さんは 後世の為に八十八ヶ所の巡礼場所が
水俣周辺に出来る 作らなければと信じておられたと
思いますが 今も彼が作った一ヶ所目の百間排水口のみ
市内の道案内の標識や看板も なぜか少なくわかりにくい


「水俣病を忘れたい市民もいる」と水俣市長は以前
ジョニー デップの映画MINAMATA上映会の後援依頼を
拒否したり(熊本県は快諾した) 最近では百間排水口を
撤去しようと試みたりしていますが 胎児性患者さんを
はじめ 加齢とともにさらに近隣に広がりを見せる潜在
患者 症状悪化に耐えて生きている患者たちにとって
チッソ(JNC)労組が支持母体である市長の「忘れたい」
配慮は さらなる差別や分断を招くと危惧します


忘れてはいけない
豊饒の海を殺し 生き物のいのちと暮らしを破壊し
36年間にもわたって毒を流し続けられたのは何故か
人類史に刻まれる大失敗に対し
それぞれの場所や方法でちゃんと向き合わないと 
共に生きる人々の活気も 町の未来もありません
その上で私たちは美しい水俣をもっと身近に
もっと誇らしく感じたい
同じことは 原爆や福島原発事故を経験した
この国にも言えると思います


「水俣病が起きて差別が起きたのではなく
  差別のあるところに水俣病が起きた」(原田正純)




水俣を訪ねてみたいと思ったら 
エコネットみなまたに相談してみることをおすすめします
思いや具体的な希望にも応じてくれると思います


「今の水俣を巡り私たちの暮らしを未来につなげるツアー」


    〒867-0023 熊本県水俣市南福寺60 
    econetminamata@orion.ocn.ne.jp
           TEL:0966-63-5408    FAX:0966-63-3522
  








変える 変わる : 園庭二題2021年04月01日





改修前




再び 西京区のみつばち保育園にやって来ました
これは 小さい子用の洗い場

ヒノキをふんだんに使った木造園舎に
似合わないブロック塀のような洗い場は
足場が狭くて使いにくい上 死角も多く
ちょっと暗いコーナーになっていました





改修前








改修前





改修のきっかけは
コロナ禍での洗い場の充実はもちろんですが
構造的に 
コンクリートに体を擦りながら水を求めるしかない 
小さい子どもたちの動きと
水の出方  …拡散するシャワーではなくて  
流れ落ちる水の感触 の大切さを
丸国園長にお聴きしたから


浮かんだヒントは
清水寺の音羽の滝でした






改修後





それで こうなりました

自然の素材感覚を大切に
太い栗の木と ぽくぽくとした御影石(花崗岩)を使って作りました











子どもの姿を隠さず 周囲にもストレスを与えぬよう
5ヶ所の給水を 風化した遺跡のように柔らかく
ミニマムにしつらえました
床面積を5倍に広げて
0歳児室から外の水場や砂場まで 
ハイハイでもスムーズに動けます



一筋の滝は
太い栗の木の中をくぐり抜けた水が 
上から落ちて来るしかけで
子どもたちは自分で
手元のかわいいハンドルを使って 
滝の水量を自由に調節できます
管理用のバルブも設置して それぞれの水圧も調整可能






改修後




出来上がってみると
昨年作った藤棚の下で
小さい子どもたちの露天風呂 大人の昼寝や
水圧をかけて滝修行?にも良さそうな
明るく愉快な遊び場になりました


今度はテラスの拭き掃除が忙しくなるかも…







園長のブログより







みつばち園長のブログより





子どもたちのいろんな様子を
たくさんブログに上げてくださいました
ありがとうございます







半年後

  半年後の風景







     *               *               *






さて もうひとつは 開園10年目を迎える
右京区の みつばち菜の花保育園です


かつては青々としていた芝生山も 事情により年長児にも開放したので
あっという間に ごらんの状態


あなたがこの子なら 何をして遊びますか?



改修前




もっと大胆に広く使って
ひとりひとりの状況に応じて 
色んな遊びが浮かぶ庭にしましょう
ということになりました





改修後




左の0-1歳児の建物と土山とを ヒノキのぬれ縁で床との段差なしに接続し
造成した低い山々をつなぐのは 太い八角名栗の一本橋

橋は景観の要(かなめ)として 園庭全体に 自然な落ち着きと楽しさも演出します
栗との対話から生まれる伝統的京名栗 独特の素材感は心とカラダにもおすすめ (できるだけ はだしでね) 
ただの止まり木やベンチ代わりでもいいし ジャンケン遊びでもいい
尺取虫になってみるのはどうかしら 遊び方は無限です

18ミリ厚アルミ板を加工した基礎で 
橋の位置も変えられます





改修後




さらに 年長児用と年少児用それぞれに 
登れる樹形の 太くて大きな樫の木を 2本用意しました
( 京都木村農園と仲西造園の知恵と力で搬入植栽できました 感謝です‼︎)





ひっそりと遊べる植栽




また 四季の変化や実を楽しめる中低木を増やして
疎密のメリハリをつけ 狭くひっそりと遊べる木陰も複数確保
眺めるだけでも楽しい緑のグラデーション





園庭全景




大きくなったコミカンの木を慎重に移動し
開園来 格好だけで使えなかった手洗い場も撤去して スペースを作り
年長用の綺麗な洗い場を新設 広くて使いやすく年少にも人気です
(この洗い場はタップルート岡村氏の設計 増田組の施工)


狭いと思っていた園庭は
ほんとはこんなに広かった⁉︎







春のエントランス


        新緑のアプローチ








          *               *             * 





ところで
植物にとってみると 園庭は
根元を踏み固められて根呼吸は困難になり 枝は折られ 未熟果はむしり取られ
草も生えないほど 不自然で過酷な現場です 
優しい姿でも 彼らは必死にそこに立っているのです


木登りするなら1年後から 
できるだけハダシでお願いします
保育園では登る頻度が激しくて 
靴では樹皮が剥けてしまいます


木々が大切に愛されて 
みつばち本園の銀杏や 西山園舎の大桑のように
人間の子どもたちの育ちを 
受け止めてくれるような関係になることを
願うばかりです …







西山園舎の大桑2






はっぱのおまつり

    
         



大桑の木を剪定すると 
子どもたちは手に手にその枝をひろって 
輪になって踊りだしました
「はっぱのおまつり」だって
アフリカにいるみたい!










土と平和:美山町2020年05月31日




例年ならばこの時期 
ポツン ポツンと現れる
ササユリの香りが ほんのりと漂っていた場所
美山町の里山で少し仕事をしました




暮らしと墓



墓と暮らしは 土と日の一字違い
生活が見える場所に家族のお墓もある
この国では
どこにでもある風景でした





   Before 


before(2)


   ( 墓前に余裕が無くて足もとが危ない状態)




  After 


after(2)


  ( 法面を整形し墓前を広げ、くつろげる場所に )




愛する者がそこに眠り
いずれそう遠くない将来自分も眠る


土と共に生き
また土に戻る




 Before 


before(1)






 After 


家族が眠る


土や、土留めに使ったクリ、ヒノキ、植栽したアセビ、 シキミ、水仙、苔、階段の石等はすべてこの山にあるもの 





46億年を経たこの星に
最近現れたばかりの未熟な私達は
他の生物と同じ細胞で出来ているのだから
他の生物と同じように共生していけるはず



真実は 目に見えないけれど
幸せとは 生きる目的
消費することではなく 愛が伝わること



贅沢とは
近くでとれるものを使い
手間暇かけて持続する 
面倒で ていねいな暮らしのこと






暮らしを見る



お墓は狭くて暗い場所ではなく
我が家でいちばん見晴らしが良くて
朝日の当たる さわやかな場所


木々の葉や 野の花々を揺らして
心地よい風が吹いています







足もとのイカリソウ


      







土に願いを:乳児の瞳に映る宇宙2020年02月18日




    陽だまりに大根吊るす保育園。
    


大根干しがよく似合う






昨秋より、園の休日ごとにコツコツと外構を改修させていただきました。
現場は、2001年に開園した京都市西京区のみつばち保育園の本園です。
開園20周年を機に、見直したいという相談を受けていました。




2001年開園当時のみつばち保育園

(2001年開園当時のみつばち保育園本園。更地の園庭。)




一般的に建物ばかりに目が行きがちですが、保育現場の外構は、常に0歳からの子どもたちが、自然を見て、触れて、舐めて、登って、こころを形成しながら育つ場所です。普段にもまして、自然な材料、安全で肌になじむデザイン、使いやすく、楽しい配置の設計、そして施工の全てにプロの質と配慮が求められるのは、あたりまえ、ですね。
庭と建物を有機的につなげることは、茶庭にも通じる造園の基本でもあります。
今回改修したのは、おもに次の3ヶ所です。





            ❶         ◯        ◯




Before 


門扉の現状


これまでに、4回以上壊れて作り直されて来た門扉は、そのたびに、20年前の設計と同じデザインで新しく作り替えられるのを目撃して来ました。2012年、右京区に開園したみつばち菜の花保育園(→拙稿)の門扉も、同じデザインで、開園数年後には壊れて、これまた同様に更新されています…。何の縛りでしょう?  素材は輸入材(米ヒバと中国産の竹)で出来ています。
現行は設計屋や建設会社を通さず建具屋に変えたようで、当初のデザインを踏襲しつつ枠を太くするなどの工夫をして、それまでよりは長く持ちましたが重くなり、子どもたちが扉に乗っかる事を想定した強度まではありませんでした。




After 


栗の門扉




みつばちのレリーフ




素材は栗の木。頑丈な木組に、大きなゴムのキャスターを付け、乗っかられても平気。
栗の木は丈夫で腐れにくく、古くなるとさらに表情が出て、やさしい木のぬくみは消えません。
庭や建物にあわせながら、シンプルで安心感のある落ち着いた風景を意識しました。また長く愛着を持ってもらえるように、ミツバチのレリーフも入れました。
扉本体の制作は、京都の数寄屋建築の老舗も頼りにしている伝統工芸士 おさむ工房にお願いしました。





    ◯        ❷        ◯





Before 


自転車置き場の現状


こちらは保護者の自転車置き場。





駐輪の現状


コンクリート基礎に小さな板石を等間隔にあしらって埋め込んでありますが、その洒落た段差のおかげで、子どもを乗せた自転車のスタンドが立てられません。スタンドはいつも桂徳小学校の通学路である道の上でした。






斜めの扉が作ったデッドスペース


さらに、斜めに設置された輸入材(米松)の扉のため、広い三角形のデッドスペース(どうにも使えない空間)を生み出していました。
設計者は自転車置き場で何がしたかったのかな? チコちゃんに叱られるよ。





After 



石畳の自転車置き場



整形して駐輪場を広げました。殺風景なコンクリートや砕石敷ではなく、落ち着いてあたたかみのある石畳に。道路のレベルに合わせ、目地も工夫し(蒲鉾型黒目地)、段差はありません。
左右の足元には季節の草花も咲くように。
真ん中に出来たマンホールは最終雨水桝。地中に埋没していたのを工事中に発見、セットしなおしました。




自転車も楽にスッキリと。





扉の向きと位置を変えた


三角形のデッドスペースも解消。私の3tトラックも楽に駐車できるほどの広さに。





栗の扉にミツバチのレリーフ


通用門は正門とおそろいの栗の門扉。美しい杢目、ここにもミツバチのレリーフを。
もちろん、丈夫なキャスターも付いています。さっそく目の前で登られましたが。





     ◯   ◯        ❸         






Before 


0歳児室側テラスの現状


0歳児側テラスの様子。専用の柔らかい砂場も正面にあります。





0歳児前テラスの現状


左が0歳児、向こうにホールという配置。
玉すだれのように吊るしてあるのは、子どもたちが収穫し、結び、干したタマネギ。





After 



ここに新設したのは、軒から続く京都産ヒノキの長〜い藤棚。
棚には微妙な勾配をつけて、雨水が伝い建物が濡れるのを防ぎます。



0歳児室の藤棚完成


おや? こっちを見てるね!

テラスの柱を掘り筋交(すじかい)で支える、単純な構造ですが、大人がぶら下がっても十分な強度があります。今後子ども達や保育士に、どう使われるかわかりませんから?





軒先藤棚


向こうのホールからの景色も、優しくて落ち着いた雰囲気に変わりました。
広いテラスを含め、塗装はすべてひまわり油ベースのオスモカラー製品を、二度塗りしました。







木のそばで遊ぶのが好き



制作中は子どもたちや保護者から、なにしてんの?これなに? と質問責めでしたが
京都木村農園が鳴滝に持っていた、一本の表情のある藤を植えたとき、
園庭と園舎がひとつに繋がり、園舎にもいのちが宿りました。
保育園施設という機能的な箱が、地べたに暮らす家のぬくみを得た瞬間でした。







銀杏に挨拶する藤


植えられた藤は、この日早速、園庭のヌシである銀杏に挨拶をしていたようです。
0歳児たちのこころに、毎日繰り広げられる 宇宙=四季の変化 がどう映るか…
なんだか、わくわくします。







8カ月後
  
          ( 10/1 )





森のほいくえん?

         ( 2021/9/10 )

一年たつと、こうなりました。
ちょっと管理をサボった? はい
でも いい雰囲気!







     

葉隠の庭:経方医学研究所2017年12月01日




 例えば春、無農薬でキャベツを植えっぱなしにすると、多くは食欲旺盛な虫たちにボロボロにされる。
それでもキャベツは枯れず、無残な姿のまま最後は新芽を伸ばし、花を咲かせ、種を結ぶ。
それは、キャベツがついには毒を持ち、虫から新芽を守ったからです。無農薬だけど毒キャベツに変身。
 植物には強い意志があり、私たちはまだその多くを知らない。



     .............................................................




 半年遅れで受け取った早すぎる訃報に、そんなことをぼんやり考えていた。




山の湧水を集めた池。



庭は15年前に作った。
荒れた林道でジムニーごと谷に転げてしまった彼が、助けを求めてきたりした頃。



鉄骨で鹿と雪避けの囲いをして作ったわさび畑。もうわさびはなかった。代わりに、お好きだった九輪草がいくつか植えられていた。




わさび畑の跡




山に滲み出る水をその地層から直接、地中タンクに集めて、沈殿させた上水をお茶用に配管した。
水量は減っていたが、まだ機能していた。




湧水沈殿式の仕掛はまだ機能していた。




水場を左に過ぎて、この奥が経方医学研究所。
わさび畑を夏の直射日光から守るために土を盛り植栽した。




池を過ぎて道は研究所へと続く

   


降り積もった落ち葉以外、何ひとつ変わっていない研究所。使っていた軽トラも、道具や合羽も、ポンとそこに置かれたまま。
いちばん奥の煙突小屋はレール式の本格ガス窯。作陶はプロだった。釉の研究もよくし、京の料理屋の器まで頼まれて作った。
スピーカーのエンクロ―ジャーも陶器で試作し、聴かせてくれた。吸音材も工夫しFostexのかわいいフルレンジスピーカーが、つやがあって柔らかい、気持ちのいい音を奏でていた。





経方医学研究所



訪ねると、珈琲を立てたり、育てた野菜やスペアリブを御馳走してくれたり。
いろんな話をしてくれた。特に油脂や野菜、コメなどの食べ物の話は目からウロコで、私の食生活も大きく変わった。


部屋ではフルートも聞かせてくれた。ご近所のツトムヤマシタ氏とセッションしたらしい。とても楽しそうに吹いていた。





テラス側は椿や馬酔木を植栽。いつも珈琲をたててくれた。




暖かい春の休日に訪ねた時、若く美しい奥様や、まだ独身だった息子さんらがいらしていた。奥様がいい笑顔で、遠慮なくお話してくださったのが嬉しかった。


苦労して植えた大きな山桜は、すっかり大木になった。
苗から育て上げた奥の朴の木とともに、シンボルへと成長した。





植えた山桜は軽く10mを超えた。奥には朴の木も。




マンサクや山法師、藪椿に夏椿、馬酔木にシャクナゲ、ミツバツツジ。鳥兜などの山野草の脇には、遊びに来るタヌキの為に食事も用意されていた。京都の山の自然をよく知る、彼らしい植栽の選択に感心しつつ植えた。


軒も深く、ろくろのある立派な作業小屋は、彼をよく知る大工の金田さんが心意気で建ててくれた。広い和室もあって、そこで文字どおりの『格闘』ごっこをして遊んだ。「思い切り向かって来い」と言われて、何度挑んでも鋭い動きと集中力でコテンパンにやられた。トレーニングも欠かさない、京大闘争以来の格闘家でもあった。





ろくろの作業小屋と和室。奥にはレール式のガス窯



植栽樹木が細菌性斑点病にかかった時、殺菌剤の長期定期散布などの一般的対応策を説明をすると、彼は20種類の漢方を調合して煎じ、月1回の薄めた灌水だけで見事に克服させた。
少し頒けてもらい、農薬では克服が難しいバラの黒点病に使ったら、はっきりと効果をあげて驚いた。
 『漢方は、植物のためにある植物の力を、人間が勝手に利用しているだけ。爪の中の水虫に、爪の上から殺菌剤をかけても無駄でしょ。



少しの時間を見つけては、高雄からクルマを飛ばして通い、この広い畑で個性的な野菜を作っていた。荷物も運ぶためGTRはレガシーに、ボコボコのジムニーは新車のチューンド ジムニーに変わった。
研究所は中央の杉木立の中にある。敢えて、どこからも見えない場所に建てた。







畑と物置小屋。研究所は中央杉木立の中。少しの時間を見つけては、この広い畑にいた。



向上心を燃やし続け、いつも真剣に生きていた素敵な男は、武士というより、ハガネのしなやかさを持つダンサーのような印象を残して行ってしまった。 
不器用でぼんくらな私には、テキパキと律して切り替える彼の生活が、時に、生き急いでいるようにも見えた。なのに、いつも楽しそうだった。

      



     ...................................................... 






江部洋一郎先生。元高雄病院院長。漢方を志す者はもちろん、老若男女に慕われていました。
一連のライフワーク的著書『経方医学』は大きな灯台となり、中国でも出版され、現場や研究者達の高い評価を得ているそうです。

院長を退かれた頃は、全国各地の講演依頼にも元気に応えておられました。帰ってくると、講演料が入ったからと連絡を受け、道や庭の補修に伺ったりしたこともありました。お仕事以外のみやげ話付きで。


5月16日、突然のご逝去だったそうですが、ご家族で静かに送られたと、京大医学部の同窓で先生と親しかった得意先を通じて聞かされたのはつい先日のことでした。1948年広島生まれ、被爆二世とお聞きしております。


 ありがとうございました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。









薔薇のプライド : 伏見2017年05月26日





ニュードーンと名栗のアーチ


不機嫌な季節の巡りあわせに遭っても
無農薬で育つ強さを持ち、淡く深い色彩と気品ある香りを放つ。
1本のニュードーン(New Dawn)のプライド。






New Dawn




ニュードーン