日本一の保育園になろう :右京 ― 2012年05月20日
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外構には、地域の風土とともに、その場所の主 の姿勢や人格が反映されます。
より自然なバランスを追求しつつも、常にそのように意識して作るのが私たちの仕事です。
デザインは思想といわれます。私達町屋の職人は、自分の培って来た美意識を相手に押しつけたりはしませんが、だからといって相手に迎合するわけでもありません。
思いを受け止め、地域現場の生活と、土、水、風、光そして四季など自然との調和を模索する、
あくまで人と現場に固執するのが私ども職人の仕事であって、ガーデンなんとか等の今風の片仮名職業ではないことを、ご理解いただけたら有り難く思います。
ちなみに造園業は 分類上、第三次産業(サービス業)の建設業ではなく、第一次産業である農林水産業に属します。おもしろいですね。
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(2013/05/19)
みつばち菜の花保育園は、100人を超える待機児童をかかえる京都市西京区の社会福祉法人みつばち福祉会 みつばち保育園(2001年開園)に次ぐ、法人二つ目の大規模な認可保育園として右京区に今春(2012年4月)開園した。前身は、ひかりかぜ保育園。
設計監理は、もえぎ設計。泥臭さを残したみつばち保育園のたたずまいとはうって変わって、RC造りとはいえ、広いタイル貼りのエントランス周りや園庭を縦断する長い園路、イベント用に特化したような異常に高い天井の大ホール(園庭よりも広い!)、園庭と園舎をつなぐテラスの先に土はなく、代わりに土色をした1m幅のウレタンを全面に敷設、職員用にはフルオートの電動トイレ(じきに故障したが)など、一見して「リッチで都会的」。見学など来訪者への見栄えを強く意識した、今風の設計。もちろん施主の意向なのだろうが、同じ法人、同じ設計屋(設計者は別人)にしては、コンセプトも、かけた「お金」もまったく違っている。
しかし、つくる会、保育士、調理師たちの開園までの努力にはすざまじいものがあった。
「子ども」という未来そのものに向き合う仕事のせいか、この保育士や調理師たちの謙虚で地に足がついた前向きな姿勢や個性光るセンスには、随分とヒントや力をいただいた。
それぞれの目は輝き、自分なりに考え、話し、動いていた。このことを忘れてはならない。
新たな場所でもあり、いろんな困難が待っているだろうけど、何よりも働く仲間の心を大切にして、ゆっくりと京の子育ての核のひとつに育って行って欲しいと願う。
(2012年 竣工直後)
外構工事にあたっては法人よりご指名をいただいた。
おかげさまで、前身ひかりかぜ保育園の中で、園長や保育士、調理師たちと自由に話し合い、子どもたちにも気安くお声をかけていただき?ながら、集中して設計し提案することができた。いくつかは、設計監理との関係で実現できなかったが。
さらに、アドバイスや新しい情報をいただくなどいつもたいへんお世話になっている、樹木、草花、銘木、竹、石、肥料など、長い間京の庭を支えてきた、信頼するそれぞれの専門店のバックアップのお陰があって無事に施工できたことに、いつもながら感謝するばかり。
すべてがこの場所に馴染み始めるのは数年先だが、とても楽しみだ。
おかげさまで、前身ひかりかぜ保育園の中で、園長や保育士、調理師たちと自由に話し合い、子どもたちにも気安くお声をかけていただき?ながら、集中して設計し提案することができた。いくつかは、設計監理との関係で実現できなかったが。
さらに、アドバイスや新しい情報をいただくなどいつもたいへんお世話になっている、樹木、草花、銘木、竹、石、肥料など、長い間京の庭を支えてきた、信頼するそれぞれの専門店のバックアップのお陰があって無事に施工できたことに、いつもながら感謝するばかり。
すべてがこの場所に馴染み始めるのは数年先だが、とても楽しみだ。
植栽工事の様子。松の流木とアテ(アスナロ)の出節丸太を運び込みノウゼンカズラのアーチを準備中。門扉の大きさや作りが意外と貧相でアンバランスな印象だが、コンクリ塀や園路と共にもえぎ設計の指定で、増田組のお仕事。
菜の花の植栽については後述しますが、問題は写真の左半分。
仕事は、きれい事ではないので、今後の為にあえてメモし提起しておきます。
左手前の、かさ高いオブジェ風の手洗い場は、ただでさえ狭い園庭の動線を塞ぐだけでなく、複雑な形状からか面取の役物タイルも使われず、カドが立ってしまいました。
そして当初は設計されていた、水はけが非常に悪い園庭の暗渠排水工事は、なぜか全て中止にされた上に、この広大なタイル三昧。
さらには、ウレタンのぷよぷよとした不自然な感触の「土」モドキ。これはテラスから15センチもの段差で打設されグラウンド レベルを恒久的に決定づけました。この大きな段差は、年長ならともかく小さな子どもの園庭への自然なアプローチに、影を落とすと思われます。
園庭地下には解体した蝸牛社ビルの基礎が浅く残っていることもあり、近い将来、全く排水出来ない土はドブ臭い異臭を放ち、どこにも接続されてないグレーチングの排水桝は泥とボウフラの溜まり場となり、広いウレタンは太陽で劣化して千切れ園庭に混入することは、たやすく想像できます。『子どもらに土と緑と太陽を』という法人のスローガン、こうなると…??
各自がとても忙しくて、疲労も溜まった状態の中で、想像と議論が尽くされていない思いは残るけれども、本来なら黙ってプロの設計事務所に任せるような細部に、大きな問題が出ているという現実。
今は出来るところまで精一杯やって、あとは開園後の様子を見ながら、みんなの思いで少しずつでも良くして行けるように期待し、協力して行くしかありません。
0歳児専用の庭。掃き出しの窓からそのまま出て、じかに触れる土と緑。窓枠下のトタンが熱くて、小さなテラスか縁側のようなものが欲しかったが、ウレタンが付いてくるのも困る。わくわくするかたちと、木陰を作る植栽樹種、維持方法や年長児とのかねあいにも苦心した。
地元の農家と、素敵な保育士たちの協力で大量の菜の花を植栽、竣工式に間に合った。
保育士たちは、お願いしていた通り、仕事(お散歩)中に菜の花畑を発見し、その所有者に頒けていただく話をつけておき、勤務終了後に連れだってブルーシートやスコップを手に、菜の花畑へ掘り取り作業に向かった。
大量の菜の花をつめ込んだ保育士の車がエンストし、日暮れてJAFを呼ぶ事態にも、彼女らはニコニコしていた!
最初に咲いたのは0歳児室前のハナミズキ。奥はマユミ。井戸水が出てくる黒い散水ホース。
開園1か月目には、つるバラが咲き始めた。
(1年後 2013/05/19)
春風
春がすみ
ポール・ネイロン
道沿いには春風、サマースノー、アリスター・ステラ・グレイ、春がすみ、アイスバーグなど。
中に咲くオールドローズはポール・ネイロン、大きな花で道往く人に「牡丹ですか?」と尋ねられた。
どれも棘が少ない品種を選んだつもり。
北側の職員通用門には、面取された御影石を積んで植えマスを作り、京都木村農園のみなさんの強力なご支援のお陰で、立派なシダレウメを植栽できた。
いつも元気な挨拶をくれ、作業してると背中から「監督」してくれたお向かいの染め屋のおばあさんも、この花を見たとたん 『ありがとぉ! 殺風景だったこの通りがとても良くなったわ』。
北側、年長保育室前。その染め屋のある保育園の裏通りは、静かな京の住宅街。
こちら側の地域住民の一部の方から『子どもの姿を見たくない』『声も聞きたくない』という強い要望があったため、図面では高さ1.9mものRC(鉄筋コンクリート)塀という恐ろしく暗い設計だった。
既に増田組の塀基礎工事は進んでいたが「塀の中の子ども達」はどうしても避けたい。関係者の努力を得て、空気と光を通す御簾垣と常緑樹の植栽による目隠しへと、大幅に変更することができた。
とはいえ、この場所は植栽可能な奥行きは1mもなく、陽も当たらない。地面は既に完成したRC塀基礎と複雑な配管で占められていたが、徹底した改良土による大幅な土盛りと、ドラムで面取した御影石の土止め、悪条件に耐えそうな樹種、下草の選定で、何とかなったようだ。
とはいえ、この場所は植栽可能な奥行きは1mもなく、陽も当たらない。地面は既に完成したRC塀基礎と複雑な配管で占められていたが、徹底した改良土による大幅な土盛りと、ドラムで面取した御影石の土止め、悪条件に耐えそうな樹種、下草の選定で、何とかなったようだ。
また御簾垣には、厚さ5㎜のアングルを加工し仕込んだ。
最新の設備を誇り、元気な調理師たちが早朝より働く調理室は、この保育園の心臓部。窓の外にはパッと明るい伊豆大島の椿。
働く人たちがいい仕事をするために、気持ちよく過ごせるのはとても大切なこと!
成長した椿に、いつも遊びに来てくれるメジロ達へ、栄養士がミカンを吊るしてプレゼント。
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≪ 蝸牛社のこと ≫
みつばち菜の花保育園が建つ前はーー
見事な壁面のつるバラや、歩道沿いの花や実が地域や道往く人に愛された「蝸牛社」(かぎゅうしゃ)のビルや染工場の景色があった。保育園の外構にバラを使ったのは、長く地域に親しまれ愛されたこの蝸牛社の景色に、敬意を表す意味合いもあった。
蝸牛社の深い善意なしには、みつばち菜の花保育園はありえなかったことを忘れない。
以下は解体直前の蝸牛社のようす。
移植できそうな樹木や草花は丁寧に掘り取り、いったん引っ越しした後、みつばち菜の花保育園完成後に再び移植した。
表は五階建てのビルだった。
蝸牛社ビルからの眺め
ビルの奥には三階建ての大きな染工場があり、地下には壊れてはいたが大規模な工業用井戸が設置されていた。井戸は、緊急時には地域に役立つこともあり、保育園はあらためて井戸を掘りなおした。水量、水質も折り紙つき。
取り壊しを控えた工場内部。
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そして激しい雨の降る五月の日、
解体を目前にした蝸牛社ビルで、
準備を重ねた「ひかりかぜ保育園」のみなさんは、地域に打って出た。
解体を目前にした蝸牛社ビルで、
準備を重ねた「ひかりかぜ保育園」のみなさんは、地域に打って出た。
雨の中、続々と詰めかける住民の方々。
( ひとりひとりが周りを見ながら自分なりに考え、喋り、懸命にもがき続ける現場に出会い、ともに仕事ができた幸せに心から感謝しています。
その遠慮ない勇気とハングリーさを、思いやる心とみずみずしい感性を
組織が大きくなっても、ボーナスが貰える身分?になっても
組織が大きくなっても、ボーナスが貰える身分?になっても
忘れないで、なんとかうまく次につなげていってほしい ……
それは本当はとても難しいこと、でも そう願っています。)
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