5月の憂鬱 : 美山2014年05月01日





20年前に、自分が造った庭を
新しい住人に合わせて改造しました。

風と鳥の声だけが聞こえます。
すこし風格が出てきたナイアガラ葡萄の
透き通った若葉が、なんともいえぬ雰囲気を醸し出しています。

モウスコシイキテミヨウ
いのちよみがえる五月のちから。


6月になると、たわわに実をつけ始める。

雨のナキジングスク : 今帰仁村2014年05月30日





雨の今帰仁城








今帰仁城 城壁の内側








膨らんでも崩れない石積み








角を作らない技術



直線がない
角がない
ならば
鬼門もない




内側









今帰仁城 









薩摩藩の侵略までは生きていた。
 
地形を利用することは
地形を改変するよりも
はるかに想像力が必要







今帰仁城 平郎門
 
   平郎門 (正門) 植栽は寒緋桜
                  




平郎門の修理工事
  平郎門の修理工事をする石工たち 昭和37年頃
          ( 今帰仁村教委 出版物より)






琉球政府によって、昭和37年に保存修理がはじまり、今も石工たちの手で復元作業が年次を決めて断続的に行なわれているそうです。

( ナキジングスクには現在5人ほどのボランティアガイドがいらっしゃいます。そのうちただ一人、琉球生まれの先達がおられまして、もし行かれる機会がありましたら是非その方のお元気なうちに、お話をおうかがいすることをお薦めします。薩摩藩にはじまる侵略した側の「本土」では教えてもらえなかったこと、気づかなかったことがたくさんあります。

 

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上半分が『復元』部分

一方、こちらは那覇市の首里城の跡地。
70年前ここには、巡らした地下壕に大日本帝国陸軍第32軍総司令部が置かれ、米軍の徹底的な砲撃で完璧に破壊され、日本の敗戦後はさらに造成されて琉球大学がありました。

公園化ということで、一箇所だけごくわずかに遺る古い野面積みを取り込んで切石とコンクリートで新設がされていました。

丁寧に対比させて、現代の石積み技術がより美しく頑強である旨の説明も掲示されていましたが、コンクリが覗く仕上がりを見て、私には意味がわかりませんでした。





コンクリートを多用した工事の様子


思想性すら感じる美しい今帰仁城の修復を見た後でしたので、ギャップに唖然としましたが、
よく考えてみると、ここは日本の戦争や開発で殆んど何も残ってないところに、日本国政府が税金で新たに作った「国営首里城公園」。
たいそうお金をかけた立派な公園ですが、それを首里城だと勘違いして来たのは自分のミスでした。






首里城公園